こんちゅう

エッセイ・小説・ブログ・楽譜置き場。 不定期更新。

長谷川豊のブログは何が問題だったのか?

模試受けてきました。しんどい。

 

 

さて、最近話題になっているこの人。ブログに人工透析患者に対して「殺せ」と表現したことで大炎上しています。

「ネットのブログだから大したことではないと思っていて・・・」「一部の過激なネット弁慶が・・・」「そもそもこれが彼のスタイルで・・・」とかいろいろな議論が交わされていますが、私はそんなことは大した問題ではないと思っています。

 

本当に問題なのは何か。言うまでもなく、「殺せ」と書いたことですね。

人を「殺す」ということは、その人の命を奪うということ。命を奪うと明言したからには、たとえどんな理由を持っていようと、自分の命を賭けなければならない。

自分の命を賭けるとはどういうことか。その措置により誰にメリットがあり、誰にデメリットがあり、社会にどんな影響を与えるのか。人々に認められるのか。誰かが苦しみ、泣き寝入りするような結果にならないのだろうか。それらを真剣に考えて、文字通り自分の人生を捧げて、その措置が適用されるような社会に自ら変えていく。そのくらいのことをしなければならない。誰かを殺すとは、そのくらいデリケートな問題なのです。このことは、歴史が証明してきました。

決して、ブログなんかで半笑いになりながら書くような内容じゃない。たとえ、いくらその理由が正しくとも。

 

だから私は、ヘイトスピーチで、「~を殺せ!」と言う人がいるならば、その人を侮蔑します。私自身、「殺せ」という言葉は絶対に使わないです(ゲームは除く(´・ω・`))。どうしても嫌な人がいるならば、心の中でそっと(あぁどうか、僕の知らないところで幸せになってください)と願うのです。

 

何の同情心もなく、考えなし「殺せ」という言葉が萬栄する社会になってしまったなら、それは中世の社会です。我々は現代人なのだから、戦争の恐ろしさを知っているのだから、こういった言葉がどこにもないような平和な社会を築き上げたいですね。

 

とりあえず長谷川さんには、漫画「暗殺教室」をお勧めします。(ステマ

 

 

2016/10/9