三月某日の朝、私と友人Sは集合場所である駅前広場に来ていた。まだ冬が抜けきっていないのか、コートを着ているにもかかわらず少し寒い。辺りに人は少なく、閑散としている。シャッターは閉じられたままだ。ここも次第に寂れていくのかな、と思うとどこか悲しくなる。
二人は自転車を携え、リュックサックを背負い、帽子をかぶっている。ファッション度外視、機能性重視のスボン。まるでどこかに探検に出かけるかのような格好である——そしてその印象は間違っていない。
全ては昨晩、友人Sの突飛なLINEから始まった。
「なぁ、明日、川の“始まり”ってのを見に行かないか?」
風呂上がりに動画を見ていると、唐突に通知のポップが表示された。川の始まり?私が戸惑っているうちに、もう次のメッセージが届いていた。
「つまり、源流ってことだな。川をどんどん遡っていくと、いつか絶対“始まり”の地点にたどり着くじゃん」
「水が湧き出ていたり、小さな池だったりするってことか」
「そういうこと。そこから全てが始まる、ちょっとしたロマンじゃない?」
私はなるほどと納得したが、しかし——
「——しかしお前は、2日後にはもう東京に行かないといけないじゃないか。こんな急に壮大なこと言い出して、大丈夫なのか」
少し間が空いて、
「だからこそ。結局俺とお前、高校卒業してから一回も遊べなかったからな。東京に行っちゃえば、次いつ会えるかもわからない。今しかないんだ」
オンライン上だったらいつでも会えるだろ。そう打ちかけて、野暮だったのでやめた。
「じゃあ明日の朝9時、駅前広場で集合。自転車使うから乗って来いよ」
といった経緯で決まった、いわゆる小探検、というものであろうか。駅前すぐを流れる久瀬川沿いに自転車を走らせ、無謀にもその源流まで行こうという、なんとも時間と体力を無駄にしているような気がしてたまらないような企画である。もっと他にやるべきことが残っているんじゃないか。正直なところ、私はあまり乗り気がしない。ところが——
「——じゃあちょっくら行きますか!」
Sが叫び、ペダルを思い切り漕ぐ。どうやら彼は、ノリノリのようだ。
駅前を流れる久瀬川に沿って走る。川は朝の光を反射してきらきらと青く輝いていた。いつも高校の通学路として通っていた高瀬大橋を越えると、とたんに私の知らない地域に入ってしまう。スマートフォンを持っているので迷うことはないが、それでも土地勘のない場所を走るのは些か心細い。
初めのうちは二人ともスピードを出していたのに、疲れもありいつのまにか喋りながらゆっくり並走していた。こんな危険なことをしても大丈夫なのが、田舎の良いところである。
私たちはずっと喋り続けていた。卒業したからこそできる話。勉強のこと、部活のこと、文化祭のこと、嫌いなクラスメイトのこと、好きだった女の子のこと。
期待と不安で一杯であった入学式、たまたま席が隣であっただけの繋がりが私たちである。部活も違うし、趣味も違うし、性格も違う。2人はそれぞれ、全く違う3年間を歩んできた。それでもどうしてか、私たちは入学から卒業まで、ずっと仲がよかった。
嬉しい事もあったし、悲しいこともあった。後悔してももう取り戻しのつかないことだってあった。でも、卒業してしまえばもう過去の話である。私たちはこのはかない青春を、心ゆくまで語り合った。
1、2時間経ったであろうか、次第に川は細くなり、舗装が少なくなっていく。川に沿った道がなくなる時もある。そんな時はスマートフォンの地図アプリを見て、次に川沿いに繋がっている道を調べ、そこまで迂回する。かなり遠回りになる時もあった。ずっと漕ぎ続けているので、少し肌寒い気温がちょうど良く感じる。土や草のにおいを直接感じる。日はもうかなり高くなっていた。
途中に見つけたコンビニで軽い昼食をとった。おにぎりとパンという最悪な取り合わせだが、学生の胃袋にはちょうどいい。
栄養を補給し終えてさらに進んでいくと、ついに川は細りに細り、これ以上は自転車では追いかけることの出来ないまでになった。
「まぁここら辺で自転車を止めて、あとは歩いていこう。地図上ではもう少しのはずだ」
私たちはそこからは歩いて源流を目指すことにした。おおよそ道という道は存在しないので、川沿いの茂みをかき分けて進んでいく。標高もますます高くなっている。もはや川は川というより、水たまりといった方が正しいほどに浅くなっていた。不安定で狭い足場が続くので、Sを先導にし、私たちは縦に並んで源流を目指す。
「そういえばさ、東京での下宿先はもう決まってるのか?」
「ああ。狭いところだが、大学からは近いし、落ち着ける。良いところだ。もし東京に遊びに来ることがあったら、いつでも俺ん家に泊まっていいぞ。その時は、東京案内も兼ねて一緒に遊びに行こうな」
「どうだか、かぶれなきゃいいが」
はは、と笑ってやり過ごされた。Sはきっと東京でも友達を作り、輝かしいキャンパス・ライフを送るのであろう。そしてそれは、私も同じ。
しばらくして、Sが急に立ち止まった。どうした、という前に私もすぐその変化に気づき、思わず息を呑んだ。水が途切れている。川が無くなった。すなわち、ここが源流だ。ここが久瀬川の“始まり“だったんだ。
ここら一帯は地面が枯葉で覆われている。腐葉土だ。おそらく、この辺り一帯の雨水が腐葉土の中をめぐり、少し標高の低いここに集まっているんだろう。
最初はこんなにか弱い、触れるとすぐに潰れてしまいそうなところから、少しづつ少しづつ水を集め、他の川と混ざり、うねり、そして大きな川となって海に出る。想像しただけであまりにも壮大な自然の摂理の根源に、私は今、立っているのだ。触れているのだ。
私はその神秘さにしばらく心を打たれていた。だが彼は——
「——こんなもんか」
Sは軽くそう言った。それだけであった。
Sの言葉のその真なるところは定かではない。字面通りの意味かもしれないし、私と同じように感動した余りの発言だったのかもしれない。あるいは、もっと別の意味があったのかもしれない。それを知るのはS、ただ一人である。私にはわからない。誰にもわからない。
しかしただ一つ、誤解しないでほしいことがある。少なくとも、私たちは今回の川上りをひどく満喫した。未知なる地点を目指して手探りに探索するのも楽しかったし、三月の山の空気と匂いは気持ちのいいものであったし、何よりお互いに喋りたいことを喋り尽くすことができた。価値があった。有意義であった。大学進学する前の友人との最後の旅として、何も間違ってはいない。何も間違っていないんだ。
私たちはその後、私の体力が限界を迎えたこともあり、行きの倍近い時間をかけて駅前広場に戻った。もう時刻は夕方であった。
「じゃあ、またな。夏休みにはまた戻って来るだろうから、その時に会おうぜ」
と言い残してSは自転車で去っていく。どこにそんな体力が残っているのだろうか、猛スピードで広場を横切り、川を越える橋にさしかかる。
はっとして私もすぐ、絶対だぞ、と彼に向かって叫ぶ。聞こえただろうかと思っていると、Sは橋の上で、器用にも右手でグーサインを出した。
——何も間違ってない、のだが。
赤い陽の光が空と彼を包み込む。私はなんだか、川の向こう側の友人Sが、とても小さく、頼りなくみえた。
2017/5/22