こんちゅう

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VR安楽死について——ヤンデレに刺殺される人生

VR安楽死について考えます。9割ネタです。

 

皆さんは老後について考えたことはありますか。いや、1年後の未来さえ分からないのにそんな何十年後の話なんて分かる訳がない、となる人がほとんどでしょう。

しかし、将来のことが不確定であればあるほど、私たちはそれに対してあらゆる可能性を想定して対処しなければなりません。

私たちにとって”最悪”の老後とはなんでしょうか。生涯独身で家族はおらず、骨が弱くなり寝たきり状態になり、介護の人に世話をされながらずるずると孤独に一生を終える......さらに、そのような生活を送るにつれてお金が足りなくなり、最終的に老後破産となってしまうかもしれません。

そのような状況を避けるためには、「安楽死」という手段が残されています。しかし、現代の日本ではそれは法律で認められていません。ただ、海外のいくつかの国では安楽死が合法化された例もあるので、そのうち日本でも安楽死が選択肢の一つとして選べるようになるかもしれません。ここでは、安楽死が合法化された(もしくは、そのような国に住んでいる)と仮定して話を進めます。

 

ここでちょっと考えてみてください。ただ死ぬのって勿体なくないでしょうか。どうせ死ぬんだったら、一度しかない人生、ヤンデレに刺殺されて華々しい最期を迎えたくないですか?

VR安楽死ビジネスとして、「1ヶ月ヤンデレ刺殺パック」を提供します。ユーザーは1ヶ月間、専用の施設で寝たきりとなります。ユーザーはVR設備を装着し、バーチャル空間で輝かしい高校時代に戻ります。そこでユーザーは、とある一人の少女と運命的な出会いをするのです。

物語の進行に合わせて、気温などが調節されます。排泄物や栄養摂取は機械で自動的にバーチャル空間とリンクされ、管理されます。

ユーザーはバーチャル空間で、その少女と段々仲良くなっていき、次第にお互いに恋愛感情が芽生えるようになります。しかしユーザーには、その少女と結ばれることが出来ない特別な事情があります。例えばユーザーは名家の子で、すでに許嫁がいるとしましょう。その少女との不適切な関係を親に見破られ、親はあらゆる手を使いその少女とユーザーの仲を引き裂こうとしますが、それでも少女の愛は揺らぐことはありません。

そこで、親はユーザーに真実を打ち明け、ユーザーは少女との恋愛を諦めるしかない、と考えるようになります。例えば、許嫁と結婚しなければ自分の家の立場が無くなり、関係する人全てが職を失い、路頭に迷うこととなるとします。しかし、少女のユーザーに対する気持ちはあまりにも深く、ユーザーはなかなかそのことを少女に打ち明けることが出来ません。

そうこうしているうちに、親が引越しを提案し、ユーザーはそれを受諾します。どうせ報われない恋ならば、いっそもう二度と会わない方が少女にとっても楽だ、と考えます。引越しの準備は淡々とこなされていきます。

そして引越し当日、ようやくユーザーは少女に別れを告げる決意をします。少女と初めて出会った桜の木の下で待ち合わせをします。桜は満開でした。少女がやって来ます。ユーザーは少女に、この恋はもう報われないこと、これから自分は引っ越すということ、もう二度と会えないことを語ります。しかし少女は意外にもあっさりと受け入れてくれました。ユーザーは安心して、最後に別れの挨拶を告げ、その場から立ち去ろうとします。

しかし、少女に背を向けた直後、背中に何か熱いものを感じます。驚いて振り返ると、少女が——ヤンデレちゃんが、血にまみれたナイフを持っています。そこでユーザーは初めて、自分が刺されたということに気づき、痛みが彼を襲い、叫びます。

ヤンデレちゃんは初めから何もかもを知っていたのです。ユーザーの家の複雑な事情も、ユーザーが自分よりも家の人たちのことを優先させたことを。でもヤンデレちゃんは、それを認めようとしませんでした。ユーザーは誰よりも自分のことを愛していると信じてやまなかったのです。そうして、ユーザーが自分以外の誰かを愛するくらいなら、お互いを愛したまま、その状態で全てを終わらせよう。そう考えるようになったのです。

激しい苦痛に襲われるユーザーに対して、ヤンデレちゃんは何度もナイフを突き刺します。ユーザーは朦朧とする意識のなかで、ヤンデレちゃんが泣いていることに気づきます。そうして意識の消える最後、ヤンデレちゃんの言葉を聞きます。「愛しているよ、さよなら」

 

この時、ユーザーはようやく、自分が死ぬんだということを自覚します。自分は「1ヶ月ヤンデレ刺殺パック」を利用したのだから、確実にここで死ぬのです。そのことを思い出します。

ユーザーは考えます。本当にこれが自分の人生の最期でいいのかと。造られたバーチャル環境に、造られたバーチャル・ヤンデレ。誰かによって用意されたレールに沿って、誰かによって用意された物語のままに、自分は死んでしまうんだ。

しかし、それは人生についても全く同じことに気がつきます。人間というものは、生まれ、そして必ず死ぬ。誰しも共通しているのです。

小さいころは死ぬのが怖かった。自分とは何か、人生とは何か、死ぬとどうなるのかを考え始めると、背筋がぞわっとしてそれ以上考えられなくなった。眠れなくなった。大人になってからは、そんな事を考えることは無くなった。考えても仕方ない、と悟ったからであろうか。それとも、自分がいずれ死ぬということを無意識のうちに受け入れてしまったからだろうか。自分がレールに沿って生きていくことを認めてしまったのだろうか。

それでも、そんな中で、たくさんの人と出会い、いろいろなことを経験して、様々な思いを抱くのです。それは紛れもなく自らの選択によってもたらされるのです。ヤンデレちゃんに出会い、ヤンデレちゃんに愛され、ヤンデレちゃんに刺殺されるのも自分の選択。決められた物語だとか、仮想的なものだとか、そんなものは関係ない。これが自分の人生だと、胸を張って言えるのです。そして最後に、ユーザーはこう思うでしょう。「ああ、人生のなんと痛快たるや!」

 

この時、現実の世界では、安楽死のための薬剤がユーザーに投与されます。

 

 

2017/8/7