こんちゅう

エッセイ・小説・ブログ・楽譜置き場。 不定期更新。

絶対音感は持っていたほうがいいのか?

音を聞いただけでその音が何Hzかが分かってしまう。そんな便利な能力、絶対音感

この能力は、演奏をする際に非常に役に立つ。早い段階で暗譜することが可能だし、自分の音程が外れていたらすぐに修正できる。カラオケなんかだと割と高得点が出せるのだ。

絶対音感は、小さいころから何かしらの楽器を習っている人は、結構な確率で持っている。 逆に言うと、幼少期に絶対音感を身に付けなかったら、この先一生絶対音感を習得する機会は得られない。後から楽器を始めた人からすれば、辛い話であろう。

 

かくいう私も、1Hz単位での判断はできないものの、絶対音感みたいなものを持っている。「ド」という音を聞いたら「ド」と聞こえるのだ。

私はこの能力に頼っていろいろ演奏してきた節もある。僕はこの能力に感謝しているし、幼少期に楽器を習って良かったと思う。

 

しかしながら、絶対音感を持っているということがその人にとって本当に幸せなのだろうか。

極端な例を挙げると、ある人は、掃除機の音を聞いているだけで「音程」に聞こえてしまい、とても耳障りだそうだ。

そこまで優れた音感を持っていなくても、オーケストラの演奏とかを聞いていると、すべての音が「ド」とか「レ」とか「ファ」とか、なにか言葉を発しているように聞こえてきて、苛立ってしまうこともある。これは私も何度も経験することだ。

 

こうなると、ふと思ってしまう。もしも私に絶対音感がなければ、もっと純粋に音楽を楽しめるのではないか、と。

でも絶対音感がなければ、小さいころに楽器を習っていなければ、音楽にあまり興味を示さなかっただろう。

結局、ジレンマに陥るのだ。

 

ある調査によると、日本人の絶対音感を持っている割合は3%で、対して日本の音大生のうち絶対音感を持っている割合は3割らしい。

やはり絶対音感を持っていると、幼少期から楽器を習っていると、音楽の道にすすむ割合というのは高くなる。しかし、絶対音感を持たずに育った人でも、後になって音楽の道に進む人も大勢いる。

 

結局言いたいのは、音感があろうがなかろうが、音楽の楽しみ方というのは人それぞれである。無いものを渇望して、有るものに苦悩するのは、意義のないことである。

2016/4/24