こんちゅう

エッセイ・小説・ブログ・楽譜置き場。 不定期更新。

少年A (一日一冊、2/6)

起きたら午後2時でひどく驚愕した。どうやら前日のテスト疲れがまだ残っていたみたいだ。
ということで遅い朝食兼昼食をとり、さっそく最寄りの図書館へ向かう。するとそこには驚きの文字が。

「図書館システム更新・蔵書点検のため2/14(木)まで図書館を臨時休館します」

へー。
2日目にして企画倒れしました。ありがとうございます。


となるのは流石にどうかと思ったので、隣町の図書館まで車を飛ばした。若干小さめの図書館で、数学や物理の本が全く置いていないのはいただけないところではあるが、まあ本があることには変わりはない。しばらくここを利用しようかと思う。


さて今回手に取った本は、数学・物理書コーナーの対面にあった社会の分野から、適当に取った「少年A」という本。かの有名な神戸連続児童殺傷事件に関して,同じく殺人犯罪者である著者の視点から語った一冊.

少年Aといえば数年前、当時の事件を振り返った自叙伝を刊行して世間から大ヒンシュクを買ったことが記憶に新しい。


適当に要約すると、

・犯人の少年Aは殺人にリアリティを感じておらず,日々の妄想の延長上,自らをまるで演じる役者のように捉えているかもしれない
・自分自身を透明な存在(つまり,日常の中に虚無感を潜ませる)と捉える,それを打開するためのパフォーマンス

と、自ら起こしたパリ人肉事件のときの心境と絡めて述べていた。

 

が、なんというか、この全くの別世界に生きている感じ。この著者は留学先の大学でオランダ人留学生を射殺して逮捕されたが、心神喪失と判断され無罪になった男だ。我々一般人としては早くくたばってくれ社会に出てくんな以外の感想が出てこない。
だがしかし、この本の中ではむしろ彼は英雄のような印象を受ける。彼の周りには同じくカニバリズムに興味のある若者たちが集まり、また映画監督や芸術家なども彼に賛同し協力する。まさに世間とは全く異なる趣向を持った人たちによる閉じたコミュニティであり、そこには外の人たちによる批判が全く通らない。出版社も聞いたことないし、今検索しても出てこない。おそらく今なら佐川一政という人間は世間からボッコボコのメッタメタに批判されるだろう。

だがそれでも、それを一種の才能として社会で通用する面があるのも否定はしない。例えば芸術家などはそういった思想に触れることでインスピレーションを受けることもあるだろう。そしてこの本に関しても、著者の思考、また近い人から見た少年Aについての考察などを知ることは全くの無意義ではなかった。

 

しかしながら、敢えて書こう――私はこの著者が大嫌いだ。そしてこの本を半分くらいで打ち切り、そっと元の場所に戻した。