こんちゅう

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宗教と平和①

世界中の人々はみな、なにかしらの「宗教」を信じている。キリスト教イスラム教、仏教・・・メジャーなものから新興宗教まで、たくさんの宗教が存在している。

そして宗教というものは今日に至るまで、宗教戦争や最近のイスラム国など、数多くの争いを引き起こしてきた。それらは本来の「宗教の教え」とは相反して起こるのだ。

では「宗教」という概念が無くなれば戦争は減り、世界は平和へと向かうのだろうか?それとも、「神」という抑止力がなくなり、世界はより混沌となるのだろうか?

 

 

最初に、日本において「宗教」とはどういうものなのだろう。

日本人はよく、宗教観が薄いといわれる。一応大多数の人は仏教を信じているはずだが、日常的に仏教の教えが浸透しているわけではない。他の宗教も然りだ。

しかしながら、日本人が宗教により多大な影響を受けているものがある。それは「死生観」だ。科学が発達し、身近なあらゆる現象を論理的に説明できるようになった今日でも、死んだらどうなるかということは説明ができない。いや、もしかしたら説明できるのかもしれないが、それは我々にとってあまりに残酷なものなのだ。

そういうわけで人々は、自らの死生観を「宗教」に置くことが多い。仏教でいうと「輪廻転生」、キリスト教でいうと「天国と地獄」だ。何千年もの間人々に信頼され続けたその「神聖なる」力に私たちは、安心して己の存在意義を見出すことができるのだ。

つまり宗教というものは、自己のアイデンティティー形成に大きな影響を与えている

 

では海外の国ではどうなのだろう。

彼らは日本人よりも宗教に熱心だ。聖書を読み、キリストを崇拝する。神を絶対的なものと位置付け、恐れ敬う。でも私は、先進国において宗教というものは日本と変わらない扱いだろうと考える。

なぜか。上で述べたように、宗教は自己のアイデンティティー形成に大いに役立っている。アイデンティティーというのは自己認識で、この世を生きていく上で欠かせない。しかし、先進国の人間は、別に宗教に自己意識を置かなくても、容易に他のもので代替することができる。充実した生活に、安心できる社会保障。そういった国において人々は、平たく言うと人生の意義を感じやすいのだ。研究の道に走るのもいいし、ミュージシャンになって世界中に自分の歌声を響かせようと夢を持つのもいい。つまり、宗教に頼りすぎなくても自己のアイデンティティーを確立させることができるのだ。

自分の力でどうしようもできないもの、例えば死に関することがらなんかは、宗教の力を頼らざるを得ない。そういった感じで、先進国において宗教は細々と生きながらえている。

 

続き

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2016/6/5