何故、この社会には「義務教育」というシステムがあるのか?それは明らかに、人々の思考力や観察眼、記憶力などを育てるためだ。
そしてその中でも異彩を放つ教科が一つ。「数学」である。国語や英語、理科などはまだ実用性があると言えないでもないが、数学とか日常生活にはっきりいって不要である。2次関数とか三角関数どこに出てくるのさ。
ところが「数学」は、学校教育における最重要科目として長い間君臨してきた。なぜなら、数学というものは人の論理展開力、洞察力を鍛えるのに最も適しているからだ。さらに言うと、数学の体系には(本当に最先端は覗いて)矛盾がない。完璧である。この裏付けによって、各先生方は生徒に対して自信たっぷりに授業を展開することが出来るのだ。
ところで私は数学をしたくない。数学の問題を見るだけでじんましんが出てくる。あぁいやだいやだ。
そんなわけで、「論理展開力が育てられて」「矛盾がなく」「しかもそんなに難しくない」とある体系が存在するならば、もしかしたら学校教育において「数学」という教科の代わりとして機能するのではないだろうか。少なくとも、選択科目として選択できる程度には。
理由:最有力。アルゴリズムなんて論理そのものだし、人の作りしものだから矛盾もないし、まぁ頑張れば高校生にもできるだろうし。完璧っす。
欠点:パソコンが必須なため、維持費が大変なことに。
候補2:経済、金融
理由:ホラ、なんか信用創造とかあったよね。難しそうじゃん。うん。
欠点:奥が狭そう
候補3:作曲
理由:モーツァルトって幼少期に数学が好きだったとかなんとか。今でもモーツァルトの曲を聴くと数学の成績が上がるみたいな話ありますよね。つまり数学と作曲は類似している訳なんですよ。展開とか、メロディとかね。
欠点:どうやって採点しろと。
数学は偉大でしたね。あきらめて勉強します。
2016/9/4