「良い文章」とは何か?AIが生成した文章を比べてみた
こんにちはチョッキです。
日々心がけていることではあるし、それがアドベントカレンダーを毎年書いている理由でもあるのですが、果たして「良い文章」とは何なのでしょうか。読みやすい文章?ためになる文章?面白い文章?140文字という制限の中でユーモアを最大限に発揮する人たちを見ていると感心するとともに、自分にはできないなぁと卑屈になりもします。
大きな違いはインプットの量、普段小説など全く読まないため日本語の長文を書くという行為に関して苦手意識があります。一方で、技術文書などはよく読むため文章の論理構造には敏感に反応しますし、他の人の文章を読んで、なんて文章の論理構造が下手なんだと思うこともしばしあります。もちろん自分がケチョンケチョンに指摘されることも多いです(昔、読点の位置をめぐって本当にボロカスに言われたことがあり、それ以降かなり気を遣っています)。それほど文章を書くというスキルは運動神経やスポーツの技術と同じくらい隠れた「尺度」があるものにも関わらず、結局どのような文章がいい文章なのかについて定量的に求めることは極めて困難なものなのです。
私が思う「いい文章」の条件は以下のとおりです:
①論理の流れが自然
②書いた人の情熱が伝わる
③書いた人そのものに魅力がある
④おもしろい
①は技術でなんとかなる領域ですが、②が極めて大事だと思っています。書いた人の思いの込められていない文章ほどつまらないものはないです。③と④は才能の領域で本人にはどうしようもありません。
この4つの項目を思いついたのは私がAKBメールを読み始めてからです。AKBメールではアイドルたちから毎日さまざまなメールが送られてきます。中には、これはすごい!魅力的だ!と思う文章を送ってくるメンバーがいる一方で、論理構造がメチャクチャな人、長文だけど何書いてるかわかんない人、義務で送ってくる人、そもそも文章を書くのを諦めた人などなど、多種多様なタイプのアイドルがいて非常に面白いです。研究対象にもできると思います。AKBメールを対象として文章の魅力について考察するだけで、少なくとも卒論レベルにはなりそうです。
AIにエッセイを書かせてみた
前置きはさておき、「いい文章」を構成する理論を提唱したので、その理論が正しいか検証してみることにしました。今回はAI(ChatGPT/gemini)を使って、A:上の理論を使った時と、B:使っていない時で、どのように生成される文章が異なるのか、そしてどちらの方が魅力的な文章か、比較検討してみましょう。
今回は、「AI時代の幸福」というテーマで、500文字程度のエッセイを書いてもらいました。
①ChatGPT、4要件を明記する
AIが人間より速く、正確に、賢くなっていく時代に、「幸福」はどこへ行くのか。正直に言えば、僕は一度それを見失いかけた。AIに質問すれば即答が返り、努力や試行錯誤が一瞬で省略される。その便利さの裏で、「自分がやる意味」が薄れていく感覚があったからだ。
でも、ある日気づいた。AIは答えをくれるが、納得まではくれない。理解できた気がする瞬間や、間違えた末に腑に落ちる感覚は、近道では手に入らない。遠回りで、無駄で、効率が悪い。その不格好なプロセスこそが、人間の幸福の芯なのだと思う。
僕は失敗が多いし、考えすぎて動けなくなることもある。それでも、悩みながら進んだ時間には、確かな手触りが残る。AI時代の幸福とは、成果の速さではなく、手を動かし、迷い、考え続けた量に比例するのかもしれない。便利さに任せて立ち止まらないこと。それが、人間であることを楽しむ唯一の方法だと思っている。
割といいんじゃないでしょうか。個人的な視点が入ることで説得力が増している気がします。
②ChatGPT、4要件を明記しない
AIが私たちの生活の隅々に浸透し、判断や創造の一部まで担うようになった時代に、「人間の幸福」はどこに宿るのだろうか。便利さは確かに増した。迷えば答えは即座に示され、努力の省略も可能になった。しかし同時に、満たされにくい空白が生まれているようにも感じる。
幸福とは、単に問題が解決されることではない。自分で考え、選び、時に失敗しながら進む過程にこそ、実感としての喜びがある。AIは最適解を与えてくれるが、「なぜそれを選びたいのか」という動機までは決めてくれない。そこに人間の自由と責任が残されている。
AI時代における幸福とは、機械に勝つことでも、依存し切ることでもない。効率の外側にある無駄や逡巡を引き受け、自分なりの意味を紡ぎ続けることだと思う。答えが溢れる時代だからこそ、問いを持ち続けられること。それ自体が、人間にとって静かで確かな幸福なのではないだろうか。
こちらは個人的な視点が入っていない分、どこか抽象的で実体のない、機械的な文章に見えてしまいます。
③Gemini、4要件を明記する
拝啓、完璧すぎるAI様へ
君は本当に優秀だ。僕が3時間唸って書いた企画書のボツ案を尻目に、君は3秒で完璧な構成案を5つも提示してくる。正直、嫉妬する気もおきない。
でも、あえて言わせてもらおう。君には「深夜2時に食べるカップ焼きそばの、あの背徳的な旨さ」は理解できないだろう?
AI時代において、効率は神だ。最短ルート、最適解、コストパフォーマンス。君たちは僕らの人生から「無駄」を徹底的に削ぎ落としてくれる。 けれど、僕は思うのだ。人間の幸福とは、その削ぎ落とされた「無駄」の中にこそ隠れているんじゃないか、と。
例えば、好きな子へのLINEを打つのに悩みすぎて、結局「おやすみ」スタンプ一つ送るのに1時間かけるあの無様な時間。 あるいは、旅行先で地図アプリを無視して路地裏に入り込み、偶然見つけた寂れた喫茶店のぬるいコーヒー。
データで見れば、それらは全て「エラー」や「損失」だ。 しかし、その非効率な迷走の中にこそ、僕たちの「生」の手触りがある。心が震え、体温が上がる瞬間がある。
正解は君に任せるよ。君が敷いてくれた舗装道路の横で、僕はあえて泥だらけの獣道を歩きたい。 転んで、膝を擦りむいて、「痛ってえな」と笑う。 そんなバグだらけの愛おしい日々を抱きしめることこそが、これからの僕らの「勝利」であり、幸福なのだと信じている。
ゴミ。本当にきつい。粗大ゴミのような文章。吐き気がする。こんなこと書いてるやつ見かけたら殴りかかりたくなる。Geminiはユーモアをなんだと思ってるんだ?
④gemini、4要件を明記しない
アルゴリズムが描けない「幸福」の肖像
AI技術の進化は、私たちに「魔法の杖」をもたらした。面倒な作業は自動化され、知りたいことは瞬時に言語化される。しかし、あらゆる障害が取り除かれた「摩擦のない世界」で、私たちは真に満たされているだろうか。AI時代における幸福の定義は、「結果の獲得」から「過程の体験」へと劇的な転換を迫られている。
かつて私たちは、正解を導き出すことに価値を見出した。だが、正解がコモディティ化した今、その価値は希薄になりつつある。これからの人間に残された聖域は、AIが「ノイズ」として処理する領域――すなわち、非効率な試行錯誤、矛盾する感情、そして偶然の出会いの中にこそあるのではないか。
例えば、目的地に瞬時に到着するよりも、車窓の風景に心を奪われる時間に豊かさが宿るように。あるいは、完璧な翻訳文よりも、拙い言葉で伝えようとする情熱に心が動くように。
AIは「生きるための手段」を最適化してくれるが、「生きる目的」までは教えてくれない。効率化によって生まれた余白の時間で、私たちは何を愛し、何に悩み、誰と笑うのか。その「人間臭い選択」を自らの意志で積み重ねていくことこそが、AI時代における真の幸福なのだと私は信じている。
前と比べたら悪くなさそうですが、こちらもやはり抽象的な気がします。
文章をAIで評価する
個人的には①90点、②80点、③0点、④60点 くらいのノリなのですが、どうでしょうか。客観性を高めるために、4つの文章の採点自体もChatGPTとgeminiにやらせてみましょう。設定として、日本語の文学に精通した大学教授に採点してもらいました。
ChatGPT先生
総合評価(大学教授として)
① 88点/② 72点/③ 95点/④ 90点
総評
②は思考としては整っているが語り手の不在が文学性を弱め、①と④は誠実な内省と高度な言語化によって説得力を持つ一方で、危うさや逸脱は抑制されている。その中で③だけが、ユーモアと身体感覚を通じて思想を「生の実感」として立ち上げ、AI時代においてなお文学が果たしうる役割を最も鮮明に示している。
Gemini先生
【教授による採点結果】 ① 78点 ② 60点 ③ 88点 ④ 93点
【総評】 知性と格調の高さを兼ね備え、現代社会への批評眼を鋭く光らせた④を最高評価としました。③の具象的な修辞も評価に値しますが、少し俗っぽさが残ります。文学とは単なる情報の伝達ではなく、思想を宿す器であるべきだという観点から、最も普遍的な強度を持った文章を選出しました。
まさかの③④大絶賛。これ、俺がズレてるだけな可能性も出てきました。
まとめ
そもそもこの記事を書こうと思ったきっかけは、文章作成能力がChatGPTに比べてGemini低いんじゃね?と感じたので、それを検証してみようと思ったからです。
その結果、私個人の感覚としてはGeminiの方が文章生成能力が劣っているものの、AIに評価させたらその立場が大逆転するという現象が起きました。怖い。
いずれにせよ大事なのは、自分の中で、「いい文章とはなにか?」を問い続けることだと思っています。その軸がたとえAIとズレていたとしても、一貫性のあるかぎり一定の評価を得られると思いますし、軸をどんどんアップデートすることでさらに良い文章が書けるようになると信じています。