こんちゅう

エッセイ・小説・ブログ・楽譜置き場。 不定期更新。

「勝ち組」大学ランキング(一日一冊、2/20)

10時間ほど寝ていて頭が痛い.どうすれば治るのだろうか.

という訳で寝落ち&寝落ちにより2/18と2/19分の感想文はこの世に存在しない。毎日続けるといっても結局途切れる運命にあると考えるともの寂しく同時に己の無力さをひしひしと感じるが、まあ時を遡って書くのもアレって感じで「俺は眠かったんや!!!!」という自己正当化のもとで何もなかったかのように続きます。はは。

今回手に取ったのは教育分野より「「勝ち組」大学ランキング」(中井浩一,2002,中央公論新社)である.内容としては少し古いため,今読んでも仕方がない感は否めないが,とにかくバブル崩壊後の,大学が構造改革を迫られたときのお話である.東大や京大といった大学は構造改革に成功したが,主体性のない大学は文科省の言うとおりに動くだけでまるで幼稚である,といったことが書かれたのち,1990年代の東京大学においていかに激しい議論が巻き起こり,どのようにして大学改革が起こったのかがつらつらと書かれてある.

まあ個人的には,かなり昔に起こった話であるし正直大学の構造についてあまり理解がなく,一言で言うと興味がないに尽きるが,それでも我々と何の関係もない話ではない.例えば東京大学の英語教育が他と(少なくとも京都大学と比べて)優れているのは事実であろうし,教養学部の名残として配置されてある京都大学の「一般教養」も,その全てが上手く機能しているとは言い難い.

しかしながら,例えば私の所属する情報学科では,一般教養の数学はほぼ必ず情報学科の教員が担当しているし,それはすごく良いことであろう.この本の中では,将来的に(2002年時点での話だが)総合人間学部と人間・環境学研究科が教養教育を全面的に担当することを期待されているが,何も画一的にする必要はまったくない.特にうちの大学なんかは自由をウリにしているのだから,そのあたりフレキシブルに,言い換えると適当にしとけばいいのである.多分.知らんけど.

 

「勝ち組」大学ランキング―どうなる東大一人勝ち (中公新書ラクレ)

「勝ち組」大学ランキング―どうなる東大一人勝ち (中公新書ラクレ)

 

 

シャーロック・ホームズはなぜ外見だけで人を見抜けるのか?(一日一冊、2/17)

地元の図書館が復活したので,今日からはここで本を読んでいく.自然科学のコーナーに数多の数学の本が立ち並ぶ姿をみたとき,思わず感動してしまった.当たり前だと思っていたものが実は当たり前ではないことに気付かされ,とてもいい経験となった.(もちろん,臨時で使用していた隣町の図書館も,小さいながらも落ち着いた雰囲気で非常に良かったですけれどね)

 

今日選んだのは「シャーロック・ホームズはなぜ外見だけで人を見抜けるのか?」(斎藤勇,2013,宝島新書)という本だ.著者は立正大学の教授ということでまあ安心かなと思い手に取ったが,まあ酷い内容だった.
シャーロック・ホームズが初めて会った人物の素性をズバズバ当てていくシーンを導入とし,人の仕草,行動パターンなどからその人の特性を見抜く方法が書かれているが,まず大前提として,シャーロック・ホームズはフィクションストーリーである.それをさも現実にも適用できるのだという導入をしている時点で腹立たしいし,何よりも,「〜という容姿を持つ人は〜だ」「〜という行動をする人は〜だ」という決めつけが全く学問的ではない.こんな,血液型性格診断と何も変わらないようなことをツラツラと書いているだけなのに,煽り文に「心理学研究の第一人者」と称されているのだから救いようがない.


こんな本を読むくらいなら,私がこの一日一冊企画で以前に読んだ「はじめて学ぶパーソナリティ入門」を読んだほうが遥かに有意義である.この本は,統計的観点をベースとした心理学であるのでアカデミックな内容となっている.血液型性格診断がなぜ適当でないのかも記述してある.

 

ともかくこの本は本当に良くない.そもそもこの本を取ったきっかけは,図書館の2月の特集で「黄色い本を集めました!」と称し入り口にずらっと並べてあったからなのだが,そもそもカバーの色が黄色だというだけでひと括りにまとめるのも正気の沙汰ではない.どうしても黄色い本を集めたければSpringerの本でも並べておけばいいのだ.

 

シャーロック・ホームズは なぜ外見だけで人を見抜けるのか? (宝島社新書)
 

 

楽しい金魚の飼い方・育て方(一日一冊、2/16)

静岡に行ってきました。静岡おでんは本当に美味しかったです。また食べたい。

さて今日の一冊ですが、あまり時間もなかったので簡単に。「楽しい金魚の飼い方・育て方」(田中深貴雄、永岡書店、1995)
この本を読むと、金魚の正しい飼い方・育て方がわかります。金魚というと、お祭りの金魚すくいでゲットした金魚を適当に水槽に入れて餌をやるも1,2か月ほどで死んでしまうイメージですが、正しく酸素をやり、餌をやり、丁寧に育てると、なんと5,6年もの間、長いと10年以上生きるそうです。さらに繁殖させると、稚魚から金魚を育ててやることもできます。
すごく楽しそうです。私も、金魚を飼うときはこのような本を参考にしながら、大切に育ててあげたいと思いました。

 

まあ飼わないんですけどね。

 

 

楽しい金魚の飼い方・育て方―金魚のすべてがわかるカラーグラフとポイント解説

楽しい金魚の飼い方・育て方―金魚のすべてがわかるカラーグラフとポイント解説

 

 

がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事(一日一冊、2/15)

 

いよいよ手をだしてしまったという感じがある.民間人による健康,それもがん治療の本だ.
とはいえこの著者はテレビにも出演したこともあり,なかなか名前が通っているらしい.そして肝心の本の中身も,まあそこまで極論に走っていないかなあという内容だった.

 

内容としては,がんで余命ゼロと言われた著者の神尾さんが,抗がん剤に頼ることなく14年もの間,食事の力だけで生き延びてきたという話.野菜は本物の野菜をとか,食品添加物は良くないとか,工場で精製された調味料(砂糖,塩,しょうゆなど)は良くない,体を温める食事をしなさいなど,まあ常識的な範囲であり,素人目に見て「これ実行しちゃヤバいでしょ」というのはなかった.

がん云々は置いておいても,まあ最高に健康な食事を目指せばそうなるわなという感じだった.今後どうしようもなく体の調子が悪くなり,薬もあまり効かないとなったら,この本に書いてあることを参考にするかもしれない.
ただもちろん,ケースバイケースである.この人にとってはこの方法ががんに効いたんだろうが,他の人にとってはどうか分からない.今やがんの治療も発展していっているので,私がもしがんにかかったときにどうするかはまた別の話だ.

ところで,こういうことを本当に研究している人の本なんかがあれば読みたいものである.この本は根拠が余りにアバウトで,もちろん科学的なんかとは程遠い存在であった.
(例えば,この人はもともとフレンチのシェフなのだが,がん治療に日本食を採用している.その理由は「昔の日本人はがんなんかほとんどかかっていなかった」なのだが,それは本当に?という感じだし,そもそもじゃあ昔のフランス人はがんにかかりまくっていたのかという話である)

 

がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事

がんで余命ゼロと言われた私の死なない食事

 

 

「日の丸」を科学する(一日一冊、2/14)

今日はタイトルの通り,「「日の丸」を科学する」という本を読んだ.まず批判から入ってしまうのだが,タイトルがよくない.「科学する」と銘打つ意図としてはおそらく,しっかりと文献や資料などに基づいた考察を行う,ということだろうが,それは本として至極当然のことである.日の丸という(当時にすれば)センシティブな話題ではあるのだが,感情論ではなく証拠に基づいていることをいちいち言わないといけないところに日本の”有識者”のレベルの低さに落胆する.

 

それはともかくとして,この本はタイトルの意図したとおりかなり中立であったような気がするし,内容自体も面白かった.
まず「日の丸」の起源について述べられ,さらに,「日の丸」に関する法律,他の国の国旗との関連,国旗に関するエチケットなどが書かれていた.驚いたことに,「日の丸」の正式なデザインは法律で定められていないらしい.

筆者は日本を代表する旗章学者であるので,国旗や日の丸に興味のある人は是非読んでみるといい.幼い頃から慣れ親しんでいるはずの日の丸について,私達の知らない情報がたくさん載ってある.

 

 

さて,ここからは少し政治的な話題になるので,極力言葉を選んで書く.日本には「日の丸」や「国歌」に対して嫌悪感を持つ人も多く存在する.それを知ったのは大阪の国旗国歌条例で,国歌斉唱のさいに起立しない職員が処罰されたニュースを見たときだ.私としては「ちょっと起立すればいいだけなのにどうして拒否するのだろう」と不思議がっていたのを覚えている.

日本は「日の丸」を掲げて軍国主義に走り,数多くの過ちをおかし,尊い命を奪っていった過去がある.そのことから,日の丸を軍国主義の象徴とみなし,国旗や国歌というものに対して反発する人が多いという.

しかし,私は違うと感じている.国旗や国歌のもとに,日の丸や君が代のもとに,私達日本人が存在しているのではない.はじめに日本人がいて,そして政府が,国が,国旗が,国歌が存在するのだと思う.
過去に軍国主義に走ったのは日本人だ.しかし今はそれを反省し,今は民主国家として世界のリーダーシップをとることを期待されるまでに成長した.私達は日本を,日の丸を,平和の象徴として掲げている.そしてそれは私達の誇りだ.私は,戦争でお国のために亡くなっていった人たちに最大限の敬意を払いたい.そして,貴方達が守ろうとした国は,日本は,日の丸は,過去の過ちを反省し,今や平和の象徴として掲げられているのだということを,日の丸を掲げ続けることで示したいのだ.

結局,旗というのは(少なくとも日本においては)シンボルでしかない.逆に言うと,そのシンボルを否定することは日本人を否定することに等しい.最近,某旗について近隣諸国と色々揉めているが,そんなゴタゴタは日本においても散々やってきた.旗がシンボルにすぎないこと,日本人は過去と違い明確に平和を目指していること,そして今,日の丸が日本でも,世界でも受け入れられていることを考え,某旗についても認めてもらいたいものだと,個人的にひっそりと思う.

 

 

「日の丸」を科学する

「日の丸」を科学する

 

 

おのぞみの結末(一日一冊、2/13)

ここ数日は少し忙しいので,簡単に読める本ばかりを選んだ.

今日は「おのぞみの結末」,星新一ショートショート集だ.
星新一ショートショートというと,どこか小中学生向けなイメージを持たれるかもしれないが,私は大好きだ.
非常に短い小説ながら,最後の最後までオチが全く見えてこない.このワクワク感がたまらない.

さらにもう一つ注目したい要素がある.挿絵だ.星新一の挿絵は真鍋博という人物がしばし担当しているのだが,その世界観がたまらない.無国籍で無機質な星新一の小説をほのかに色づける,その塩梅がぴったりなのだ.

ちなみに,私は1年前くらいに,国立国会図書館の「挿絵の世界」という企画展示を見に行ったことがあり,そこに星新一の「ボッコちゃん」の初出雑誌が展示されていたのだが,そこに掲載されている挿絵も彼のものであった.
その雑誌の刊行日は1962年である.これだけ長く人々に愛されていながら,なお古めかしさを帯びないこのコンビは,日本において他にはなかなかないのではなかろうか.

 

おのぞみの結末 (新潮文庫)

おのぞみの結末 (新潮文庫)

 

 

日本のミイラ仏をたずねて (一日一冊、2/12)

今日は,私の人生にとって記念すべき日となった.
難波に行き,私の大切な,20年間連れ添ったたいせつなものを「捨てて」きたのだ.

捨てる前は,ああ本当にこれで捨てるのかという実感はなかったが,緊張はしていた.もし手順を間違えたらどうしよう,恥をかくに違いないなどという思考が私の脳をよぎる.
しかし,一緒に着いてきてくれた友人のおかげでなんとか精神を保ち,無事にこなすことができた.今日この日を迎えるにあたって,これまで私のことを暖かく見守ってくれた全ての関係者の方々に感謝の意を示したい.

 


言うまでもなくスタバの話である.カフェモカ?とかいうのを頼みました.生クリームとほんのり香るチョコレートが口の中で交わり,とても美味しかったです.カップも新鮮で驚いた.

 

さて,本日読んだのは「日本のミイラ仏をたずねて」(土方正志,1996,晶文社)だ.ここ最近まともな本が続いていたので,いっちょここらで「なんだこれ?訳わかんねえwこんな本読んで何の得になるんww」みたいな本を引き当てたいと思い,タイトルからしてネタ臭のする本を選んだ.
選んだつもりであったが,実はびっくり,この本,めちゃくちゃ面白かった.少なくとも今回の企画で読んだ本のなかでは一番だ.

ミイラ仏とは,寺のもとで修行を積んだ僧侶(たいていの場合,彼らは京都の寺で修行を積んで全国に散らばったような「由緒正しき」お坊さんではなく,もとは普通に暮らしていて,その生活を捨ててお寺に弟子入りした人たちである通称”行人”であったらしい)が,自らの死の前に弟子たちに頼んで,死体を保存させ,修行者が瞑想を続けて絶命しそのままミイラとなる「即身仏」になることである.
これだけ聞くと(少なくとも私は)ぎょっとしてしまったのだが,何十年か前は,それらミイラ仏がTVや雑誌で特集されたり,修学旅行で見学するなど,世間の人たちにある程度知られた存在であったようだ.

現在まで保管されているミイラ仏は(この本が書かれた当時では)わずか18体しか確認されていない.ところが,それら一体一体に,修行者がミイラとなった経緯や伝説,エピソードがある.非常に興味深いことに,それらのエピソードは「交差する」――つまり,ミイラ仏が誕生した時代も,土地も,全然異なるのに,それらの誕生には他のミイラ仏の存在や,歴史,風土などが強く影響する.これらミイラが織りなす多層的な世界観に,きっと読者は歴史の神秘的な魅力を感じることであろう.

また,ミイラ仏といういかにも暗くなりそうな対象とは裏腹に,この著者の語り口がいかにも軽快で面白い.私が気に入っている一節を引用しよう.

真言宗の開祖,弘法大師空海が,高野山の奥で即身仏となっているという伝説がある.この伝説にあこがれて,のちの世の後継者たちが続々と土中入定を遂げた.なにしろ空海には「即身成仏義」なる著書まであるのだ.
だが,「即身成仏義」と即身仏はじつのところまったく関係がない.空海の説いた「即身成仏」とは,修行を積めば生身のままジョブウツできる,つまり生身のままで悟りを得ることが出来るというものだ.
なにもミイラになれなんていってはいない.

この本,実は昨年8月に復刻されたらしい.興味のある人は,ぜひ読んでみてはいかが.

 

新編 日本のミイラ仏をたずねて

新編 日本のミイラ仏をたずねて